2000 年 8 月


8 月 24 日 (木)

  「臓器提供、家族の承諾で可能 厚生省研究班が報告書」 (9/7 時点で既にリンク切れ)……だと。 なんじゃこりゃ。

 脳死臓器移植については、僕は断固反対の立場を取っている (と言い切る程カッコいいもんでもないが、 周囲からはこの点で少々変人扱いされているのも事実)。 理由は単純で、「脳死を人の死」とすることに対して、 どうしても疑惑の念が払えないからである。

 もう 4〜5 年くらい前のことだが、 NHK (あるいは教育) で脳死臓器移植を扱ったドキュメンタリー番組の中で、 脳死状態の男性から臓器を摘出する際の映像を見た。 ドナーである脳死状態のアメリカ人男性は摘出手術を受けている最中、 全身を激しく紅潮させ、額には脂汗さえ浮かべていた。 そして臓器が摘出された後、当然のことではあるが男性の呼吸は停止し、 その肌はみるみる生を失い土気色に変わっていった。 僕はこの映像を見た直後、 「なんかこれ、ヤバいんじゃないの?」という嫌悪感を抱いた。 これ以降、僕は脳死臓器移植を否定するようになった、 というよりも否定するのが当然じゃないかと思い始めたのである。

 あの映像の様な行為を実際にみると、やはり脳死患者の臓器摘出は、 単なる生体解剖にしか思えない。 少なくとも臓器摘出処置を受けたことにより、完全に止めを刺されたのは事実だ。 そもそも「人の意識」なんていうものは、 現在に至っても結局解明されていない謎の代表じゃないか。 ミスやら何やらで随分いかがわしい判定方法で「脳死」と診断されたとしても、 はたして本当に何も感じないのかどうかは、当人以外に知りようがない。 そう考えると、随分と恐ろしいことをやっているものである。

 僕自身に関していえば、死刑に相当する刑罰でも無い限りは、 あのような状況に置かれるなど到底受け入れられないことであるし、 また他人に対しても同様である。 他人をああいう本当にギリギリのところに追い込んでまで、 生きながらえるつもりなどは毛頭無い。

 しかし一般的な世論ではそういう認識はあまりにも小数派であるし、 そうなるといずれは「意思表示がなければ臓器提供 OK」 という世の中になってしまうのだろう。 そうなる前にとりあえず、反対の意を示しておかねば。

「私 (大西) は、脳死状態になった際の臓器提供は、一切拒否します」

……こんな所に書いても、法的には無効だろうけど。 しかしドナーカードなんぞ持ちたくないから、とりあえず後で親に連絡しとくか。

 それにしてもこういう事を言うと、 「まあなんてヒトデナシ」とか思われちゃうのかしら。別に構わないけど。 僕としては、脳死臓器移植の報道には毎度つきものの、 「善意」だの何だのといったうさん臭い言葉に対して、 髪一筋程の疑念すら抱かぬ人の方がよっぽど危ないような気がするのですが。


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Takayoshi OHNISHI
ohnishi@sfc.wide.ad.jp
Last modified: Thu Sep 7 23:19:28 JST 2000