SFCのQ&A

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Q1: どうして途中でだれも乗り降りしない笹久保回りのバスがあるのですか?

Q2: 午後のバスはどうしてキャンパス内に乗り入れないのですか。

Q3: 神奈中バスはよく送れたり、定刻以前に発車したりしますが、なぜですか。

Q4: タロー坂の名前の由来は?

Q5: タロー坂の東側にある、あの池のようなものは何ですか?

Q6: SFCの施設のギリシャ語名前はどうやってつけたのですか?

Q7: 三田の「幻の門」とか、日吉の「イタリア半島」、「蝮谷」といった別称はSFCにもありますか?

Q8: 牛の匂いは何とかならないのでしょうか?

Q9: 他キャンパスの授業開始時間は9時始まりなのに、どうしてSFCだけが9時半なのですか?

Q10: SFCにはどうして授業開始と終了のチャイムがないのですか?

Q11: このキャンパスは白い壁面ばかりで、何か殺風景な気がしてならないのですが。

Q12: 他の大学ではどこでも見かけるタテカンや学生団体の掲示があまり見られませんが、学校で禁止しているのですか。



Q1: どうして途中でだれも乗り降りしない笹久保回りのバスがあるのですか?

A:
初年度のバスはすべて笹久保経由でした。遠藤とキャンパスを結ぶ道路がなかったからです。そのかわりに林に囲まれたすばらしい小道があり、ぼくはゲンチャリでその道を通って通っていました。二年目に今の道路が完成しましたが、一度通したバス路線を廃止することは法律的にむずかしいのです。「既得権」といいまして、長後に急行が止まるのも同じ理由です。南林間に急行が止まるのも不思議な現象ですが、南林間が江ノ島線の終点だった時期があり、「急行が止まる」という理由で家を建てたひとがたくさんいたのですから、しかたがありません。

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Q2: 午後のバスはどうしてキャンパス内に乗り入れないのですか。

A:
大学のキャンパス内は「道路交通法」が適用されません。ですから事故があった際に、めんどうなことになるので、バス会社はキャンパス内の通行をいやがります。

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Q3: 神奈中バスはよく送れたり、定刻以前に発車したりしますが、なぜですか。

A:

以前に何度か抗議したことがありましたが、神奈中側の言い訳はいつもこうです。慶應大学行きのバスは辻堂などから来たバスを配車するので、その過程で遅れるのが原因である。また、定刻前に発車することはなく、その前の送れたバスが、次のバスの発車予定時刻のちょっと前に発車したにすぎない。
おもしろい理由でしょう。

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Q4: タロー坂の名前の由来は?

A:
並木道の木の名前がチャイニーズ・タローツリーというので、響きもよく、初代学部長の加藤寛先生が命名しました。十数年前に定年退職されたある三田の先生が、「ぼくが幼稚舎の頃は日吉の銀杏も人の背丈ほどで…」とおっしゃっていましたが、そんな悠長なことは言っていられないので、成長の早いこの木を選びました。

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Q5: タロー坂の東側にある、あの池のようなものは何ですか?

A:
「何ですか?」と聞かれてもこまります。実は何でもないのです。正式には遊水池といいます。SFCの建設許可の条件として、何十年に一度の大水になっても、キャンパスから外部に水が流れないように工事をする、というものがあります。ですから、キャンパス内にはこうした遊水池が全部で4つあります。あとの三つは生協前の池と、グラウンド、その下の駐車場です。要するにグランドは干上がった池なのです。この前の三つが満杯になると、地下に巨大なタンクがあり、そこに放流されます。ぼくや体育の先生方の希望は、グラウンドを芝生にして、その回りにアンツーカーのトラックを配備する、というものでしたが、「池の底に芝生はいらない」との理由で却下されました。駐車場に水がたまるのも、そういうことです。
ちなみに、タロウ坂の遊水池を井関前学部長は「テアトロン」と命名しました。階段のところで野外劇が行われ、芝生の斜面で見物する、というアイディアですが、私が知る限り、実現したのはたしか2年目か3年目にロック研究会がコンサートをやった一度だけだと思います。
 マコーニック先生は、鴨池とあわせて「ガリバーの足跡」という壮大な名前をつけましたが、残念ながらどちらの名前も学生からは無視されているようです。

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Q6: SFCの施設のギリシャ語名前はどうやってつけたのですか?

A:
開設前のある日の会議で、「たまには息抜きに楽しいことをしよう」ということで、皆でアイディアを持ちより、わいわいがやがやと決めました。ギリシア語のカッパ、エプシロン、イオタ、オミクロンはまさにKEIOそのもので、覚えやすくぴったり。ラムダは「ロゴス」、つまり「言葉」であり、言語や外国語の研究室として最適です。本館にはアルファベットの始まりのアルファー、オメガはΩの文字と建物の形からつけました。

 ところがだんだん建物が完成してくるにつれ、文字を見つけるのに苦労するようになりました。でたらめにして傑作なのは、学生のサークル棟です。2棟もあるので頭を悩ましていたところ、事務のある若い人がすばらしいアイディアに至りました。残っていたギリシア語文字の中に「フィー、プサイ」というのがあり、「東(ひんがし、フィンガシ)、西(サイ)」と読みかえることにしました。

 ちなみに、消防署からはお叱りを受けました。事故や火災の時に、「エプシロン3階にて…」などと電話を受けても、出動などできない、ということで、今でも公式なキャンパス図は「1号館、2号館」などとなっていると思います。

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Q7: 三田の「幻の門」とか、日吉の「イタリア半島」、「蝮谷」といった別称はSFCにもありますか?

A:
あるといえば、山ほどあります…

たとえば、あの「池」、これは「旅人の泉」と言います。ぼくの「言語と伝達」の授業の「ものの命名」という講義で紹介しますと、皆さん「ええ…?」と怪訝な顔をしますが、うそだと思ったら、池の反対側に行ってごらんなさい。西脇順三郎先生の立派な詩碑が立っており、先生の「旅人帰らず」からの命名であることがわかります。発案者は、詩人でフランス文学者の井上輝夫先生(現ニューヨーク高校校長)です。

 多くの皆さんはただ「池」とか「鴨池」とか呼んでいるでしょう。たまには彼氏、彼女に「インテンシブのあと、旅人の泉で会おうか…」などと言ってみよう。ちなみに、初年度、あの池にいた鴨は四羽だけでした。近くの向上の池がつぶされることになり、いわゆる家鴨(羽の一部を切り取って飛べなくした鴨)をゆずりうけて放したものです。今年の3月で定年になる事務室総務課の安斎さんが、2畳ほどの水に浮く鴨の家を作って育て、まだ虫もなにもいない工事現場の水溜りなのでえさもやり、台風の時には真夜中に車でかけつけては増水した水を地下のタンクに流すなどのたいへんに努力をして育てておられました。当時の安斎の話しによると、初年度6月のある日、小屋の中にタオルがおいてあり、その上に卵がひとつのっていたそうです。はじめはいたずらぐらいに思っていたそうですが、その後次々に卵が増え、藁で巣を作ってやったところ、最後は15個になりました。残念ながらひとつも孵化しませんでしたが、原因は、同じ巣に二羽の雌が卵を産んだため、卵を定期的に回転させるのが不規則になってしまったからのようです。

 その後うわさを聞きつけたらしい渡り鴨が冬になると次々と訪れ、初年度の冬でほぼ40羽ほど、今はどのぐらいいるか皆目わかりません。

 ついでに水中の世界ですが、学校として魚を放した記憶はありません。ところがある日見まわると、金魚やら鯉やら、亀やブラックバスの目撃情報も。ぼく自身、学生たちが車で運んできたバケツの中の体長30センチを悠に越える鯉が酸欠で瀕死状態、いまさら持ちかえれとも言えず、水の補給をして放したことがあります。

 周回道路にそった大学ゾーンは「サーカス」と命名されましたが、これもあまり定着しませんでした。周回道路に「メビウスリング」という名前をつけたのはぼくで、3年目には2年目の第1回体育祭をひきついで、この周回道路を利用した「メビウス祭」も行われたものですが、これもまたあまり定着していないようです。

 このほか、東西南北にある4つの入り口についても、「白秋門」など、北原白秋にちなんだすてきな名前がつけられましたが、実際に使われているのは北門だけで、おまけに開かれたキャンパスをめざすSFCには「門」なるものがないので、その名も消えてしまいました。

 朝夜のバスが回転する小さなロータリー、その中央に一本の「こぶしの木」が植わっています。キャンパス開設後に藤沢市から寄贈されたものです。当日は葉山藤沢市長、加藤・相磯両学部長の手で植樹祭が行われ、ここを「こぶしロータリー」と呼ぼう、ということになりましたが、ただバスが回転するだけで、学生も中高生も教室に向かってひたすらダッシュ…ただ一本そびえる孤高の木です。

 タロー坂中腹のステンレスの彫像も悲しくて、まだ「あのステンレスの(金属の)…」などと呼ばれているだけです。あれは慶應義塾経済学部出身の芸術家●●氏製作のもので、これもまた式典をきちんと行って除幕式を行ったものです(●●年●●月)。SFC内での呼称もいろいろと検討しました。ところが、実は三田の図書館前の類似の金属モニュメントが「知恵の樹」というのですが、「知恵の樹」が風に吹かれてふらふら動くのはいかなるものか、という意見が多く、名前はそのままになってしまいました。

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Q8: 牛の匂いは何とかならないのでしょうか?

A:
 なりません。それよりも、多くのSFC関係者の誤解を訂正しておきますが、あれは「牛」ではなく「豚」の匂いです。ここは高座豚のハムの明産地ではありますが、牛乳や霜降りのすきやき牛で有名な場所ではありません。それに、牛はそれほど匂わないそうです。
 かなりアメリカナイズして新天地に乗り込んできたSFCですので、アメリカが原住民に対しておかした過ちに似たようなことだけは、遠藤でやらないようにしよう、というのがぼくたちがここで教わったことでした。

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Q9: 他キャンパスの授業開始時間は9時始まりなのに、どうしてSFCだけが9時半なのですか?

A:
これは後発キャンパスの弱みです。同じ湘南台駅からバスが出る文教大学大学が9時始まりなので、特定の時間にだけバスを出すわけにゆかず、8時半始まりか、9時半始まりかのどちらかにせざるを得ませんでした。この立地条件で8時半は学生にかわいそうだろう、という気持ちと、大学の先生そのものが夜型が多いので、単純に後者と決まりました。

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Q10: SFCにはどうして授業開始と終了のチャイムがないのですか?

A:
これについても発足前に議論しました。設立準備メンバーの全員が欧米に留学していたことから、「そういえば、むこうにはそんなものはないなあ」、「なくたっていいんじゃないんですか」…こんなことで単純に決まりました。

 ご存知の皆さんも多いかと思いますが、慶應義塾の授業は明治の頃には2時間がひとつの単位でした。休み時間はありません。お茶でも飲み、授業の準備をチェックし、15分~30分ほどして教室に行くと学生も着席している。きりのついたところで「今日はここまで」、これでほぼ実質的に90分の授業を行っていたわけです。

 SFCでは午前中のインテンシブ外国語と講義課目の時間がずれていることもあり、研究会に至っては、夜中までやる先生もおられたりして、「チャイムはなし」と決めました。

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Q11: このキャンパスは白い壁面ばかりで、何か殺風景な気がしてならないのですが。

A:
私たち教職員も始めはそう思いました。赤レンガの建物とか、蔦がからまる図書館とか、そんなものに囲まれて学生時代をすごしてきたからです。でもこうした建物の設計のイメージにはいろいろなものがあり、建物は白いままで、そこに重なる樹木などが日々変わることによって生み出される空間というのもあるようで、設計者の槙先生に直接うかがった話しでも、周辺に植えた木々が年とともに大きくなり、枝葉を伸ばし、それが壁面と一体になって日々一刻と異なる景観を作り上げる、長時間にわたっての世界をイメージされたようです。

 何年たってもかわらない建物もすばらしいものですが、自分自身はそのままでありながら、周囲に生きるものとともにその姿を変容させてゆく建物、そんなものがあってもいいのではないかと、十年たって少しずつ考えるようになりました。

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Q12: 他の大学ではどこでも見かけるタテカンや学生団体の掲示があまり見られませんが、学校で禁止しているのですか。

A:
禁止など一度もしたことがありません。SFCが開設されて十年間、一度もそういうものが出なかったというだけです。実は、開設前にはSFCの掲示はすべてワークステーションの「電子掲示板で」と考えていましたが、実際にはそれだけでは情報が徹底しません。イベントなどを機会に、学生側から、学生団体の掲示ができる場所がほしいとの要望があり、話し合いの機会を持ちました。

 そこで学生側から提案があったのは、「よその大学にあるような常設の学生用掲示板はいらない」、「タテカンのようなものを自分たちのキャンパスに立てたくない」ということで、「掲示板はきれいなものにしよう」と意見が一致しました。最終的に落ち着いたのが今のオメガの学生用掲示板です。イベントがあるたびに、特設掲示板が設置されますが、終わると撤去するのも、初期の学生が自分たちで作り上げていったルールです。自分の家の壁に張り紙をされて喜ぶ人はいませんね。皆がSFCは「自分たちの家だ」と思って作ったルールです。

 教室の机やトイレの落書きがないのも、これと同じことです。

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