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免停の世界にようこそ…(苦笑)

このページでは「免停」の世界を知ってもらうために赤裸々にその流れを書きます。
ま、これを参考にしないよう気を付けて下しゃい♪


1999年3月3日
この日は天気がとても良かった。
今日は友達と新横浜で待ち合わせをしていた。
うちから新横浜まで行くためには「環状2号」という道路を使う。
この道路は最近できたばかりなので周りには何もなく、
走っててとても気持ちいい道路である。

世の中で1番好きな道路だった。
しかしその思いは砕け散った…。
その道路は50キロ制限なのだが、3車線あって高速みたいなものだ。
横浜新道もあれで60キロ制限の道路である。

ねずみ捕りにやられた。
ホント潜んでいやがった。
運悪く隣のムカつく車と競っていた為、103キロ出していた。
気付けば旗を振って「とうせんぼ」している交通機動隊。。。
53キロオーバーだ。
やっちまった。。。

未成年なのでその場で免許を拘留されずに済んだが、
1ヶ月後に家庭裁判所から通知書が来るとのこと。
まあいいやと思った。
所詮1回目の免停は、講習1日受けるだけでOKでしょ、とも思った。

その日は軽い気持ちで遊んでた。
しかしこれがとんでもないことだと気付くのは次の日になってのことだった…


1999年3月4日

1晩寝たが、やはり昨日のことにドキドキしていた。

そこでインターネットで「免停」について調べてみた。

そしたらまー色んな体験談があること。
思わず笑ってしまいましたよ。
80キロオーバーとか。
まー俺も60キロ制限の所を150ですっ飛ばしたことあるんですがね(笑)

しかし幸せの時もつかの間…

俺と同じ「50キロオーバー」のページがあって、その経過が事細かに記してあったので熟読しました。

はいっ!ブルー!!!

簡単に言うと50キロオーバーは12点です。
免停は6点(確か)〜14点の間で発生します。
俺の友達で確か6点になって免停になった人がいました。
けど彼は「免停講習」というのを1日受けるだけで免停30日にはならないで、
その日1日だけ運転できない、ということで済みました。

俺も最初は「1回目だし」と思って気楽でした。
けど、現実はとう甘くなかったです。

もともとスピードオーバーで「50キロ以上」はスピード違反のカテゴリの中では「最高ランク☆」です。
そして12点というのも6点の人と同じ待遇な分けありません。

12点というのは、ほぼ「免許の取り消し」に近い罪らしいです。

まず「免停90日」。
これが最高に短くなっても45日以下にはなりません。
そして罰金が、な・なんと、「80000円!!!」なんです。
ほとんど、ぼられています、俺。

マジへこみました。
てゆーかマジホントぶるぅ入りました。

まあ通知来るまで、あと1ヶ月位ありますが、その後、約1ヶ月半は「運転できません!」。
皆さん、長い間の「オージー」の御乗車、ありがとうございました。

今度から俺は、俗に言う「助手席男♪」という人種になります。
皆さん、乗せてね☆
キャピッ♪

これから長い戦いが始まりそうです。
今後も書き続けていこうと思ってるので、これから見て下さいな☆


1999年3月25日

とうとう来た。
警察からの通知書。

要項の紙の色は「赤」…。
表紙にまんまと「長期」と書いてある。
それに予想通りの12点だ。

あーマジでー。。。

結局、免停開始日は4月12日(月)からとなった。
まー長期の中でも1番短い90日免停だと思うが。

講習は2日間で27600円!
なんという法外な金額!!!
まーそれで、90日が45日になるのなら良いが。。。

とりあえず、今日はへこんだ。
ぶぅ〜ぶぅ〜ぶぅ〜


1999年4月12日(&13日)

とうとうこの日が来た。

朝、6時なんていう天文学的な数字の時間に起床して、二俣川に出掛けた。

8時30分に意見の聴取の為に集合させられた。
寒い。
それも3号館という訳のわからない所だった。
しかも待合室の目の前には、警察みたいに3つのドアが並んでいた。
とても殺風景で、ホントいやになった。

意見の聴取のために3部屋に分けられた。
そして1人ずつ目の前に呼び出され、大声で罪状が読み上げられる。
そして違反した理由など質問を受け、2分くらいで終わった。

10時に同じ待合室で集合になった。
そこで初めて「免停」となる。
結局オレは予想通り90日の免停になった。

そのまま11時から4号館というちょっと綺麗な所で「免停講習」を受けることになった。
講習料は27600円!
なんという法外な金額!!!

ということで、11時から4時まで講習が行われた。
その詳細は以下の表で示します。


1999年5月13日


1ヶ月前に免停講習が終わったから、後はもう5月27日を待つだけだと思っていた。

しかしそれは大きな間違いだった。
まだお金(8万円)を払っていない。

そんな僕に薄〜い封筒が届いた。
神奈川県検察庁からのお通知だ。

「少年、工藤雄玄は5月20日9時30分に出頭せよ」とのこと。
何様?こいつら。
ここに「少年」ってつけるなっちゅーの!
しかも「刑法?条により今回は少年法は適用されない」と書いてある。
んなら「少年」って書くな!死にさらせ!

あー、たりぃ。
なんで朝の9時30分に検察庁に行かなあかんの!
マジめんどい。
早く免許返せっつーの!!!(怒)

そんなこんなで「運転免許処分書」をアップしました。
なかなか見れるもんじゃないです。
お恵みもんですね。見てみませんか?

運転免許処分書(表)

運転免許処分書(裏)


1999年5月20日

今日は関内にある横浜地方検察庁に出向いた。
朝9時30分行かなければ行けないのはつらい…。

参考までにこういう通知が来た為である。

検察官送致決定通知書

ちゃんと「少年:工藤雄玄」って書いてあるでしょ?(爆笑)


今日は、とりあえず定刻より早めに到着した。
関内から10分くらい歩いたかな。
サラリーマンばっかりでいやになったね。

そんで、なんかレレレおじさんみたいな人と面接。
まず最初に、
「君には黙秘権があるから喋りたくない事は無理に喋ることは無いからね」
って言われた。
なんなの?ホント犯罪者じゃん。
その後に、少年法の仕組みとか今回の罪状などをだらだらと告げられた。
聴いててホント耳が痛くなった。
オレってマジで「犯罪者」じゃん(爆)

とりあえず、今回初めて自分のキップを見た。
やっぱ「赤色」だった…。
ホントおちたね、あれには。

この赤キップが鎌倉の検察庁に送検され、また2週間後くらい経ったらようやくうちに届くらしい。
その後に横浜地方検察庁から罰金の振り込み用紙が届くらしい。
なんて複雑なシステムなんだ。
あと4キロ遅く走ってればこんなことにはならなかっただろうに…。
また後悔の念が込み上げてきて悲しくなった。

また、正式裁判と略式裁判のどちらを選ぶか?、を訊かれた。
まー訊かれたと言っても「普通は略式裁判だからそれでいいね?」って言われ、コクッとうなずいた。
略式裁判というのは法廷には一切立たず、書面上で全てを解決させる方法である。
ま、どーせ80000円だし。
もう、どうにでもなれ〜

そんな感じで今日は終わった。
まだ処理が終わったわけじゃないと思うと、とても憂鬱である。
あー、オレって犯罪者…。


1999年5月27日


とうとうこの日がやってきた。
どれだけ待ち望んだろうか…

前もって警察に「当日の午前0時に取りに行きますから〜!」って言っておいた。
そのお陰で警察の営業時間外である午前0時ぴったしに免許をもらうことができた。

「これからも気を付けて下さいね」と警官に言われ「はい」と頷いた。
しかし、おめーは誰なんだ? あ?警官よ。
てめーらの汚い手口を暴露したろうか?
どうかしてるよ、日本。
こんな日本の警察に捕まったと思うと、ホントぶるぅになるね。

もう1度言わせてもらうが、俺がスピード違反で捕まったのは、俺が悪いわけじゃない。
環状2号は普通100以上飛ばして走るもの。
交通の流れってもんもあるじゃん?
そこで逆に法定速度守ってたら、ブーイングくらうね。
っつーか、日本の法定速度は狂ってる。
あれじゃあ、渋滞は回避できないし。


最後に、ドライバーの皆様、そして一般大衆のみなさん。
警察に負けてはいけません。
俺ら市民にとっては、あらゆる「自由」があるのですから。
それに法律なんてうまくやれば、ある程度まではバックレること可能なのですよ。
あえてその方法などはこのページでは記しませんが、
ネット上をあさればあらゆるその類の情報が転がってますから。
もっと自分の頭を良くして、ちゃんと反論できる能力を身につけましょうね。


長くなりましたが、これで僕の免停日記はお開きです。
ご愛読、ご購読、誠にありがとうございました。


最後に1言…

「まぁ1回くらい免停にならんと真のドライバーとは言えないわけよ(笑)」


またまた一言。。。 赤キップが来た(6月の半ば)のですが、8万円の罰金と予想してましたが、まんまと違いました。
「9万円!!!!」でした。。。ううぅ

以上。


Takeharu Kudo / takeharu@sfc.wide.ad.jp

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